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2007年03月16日
自転車 [ 日記の類 ]
針生です。
新職場は新大阪、針生です。
いや、ね。
詳しい場所言っちゃうと色々バレるから言いませんが。
春から働く職場は地元吹田駅からたった二駅の新大阪にあります。
で、妹と話してた訳なんですが。
「定期買いに行かなきゃなー」
「どこなん?」
「新大阪」
「自転車で行けるやんwwww」
と言われました。
「社会人は事故る訳にはいかないから電車じゃないと不味いんだよ」
「自転車で事故!? アホちゃう? そらバイクとかで行くんやったら危ないって解るけど、自転車やでw 絶対自転車で行くのがしんどいだけやわw」
「まぁぶっちゃけ朝からチャリンコこいで行くのもダルいけどさ」
「ほら」
みたいなやりとりが続いた訳ですけどね。
針生が思うに、やはり自転車は道を走るにおいて一番危ないと思う今日この頃。
順番を付けるとすると、「自転車>原付>普通自動二輪>車」の順に危険度があると思います。
まず自転車の何が悪いか。
1.乗ってる人間が殆ど何ら道交法を知らない。
正面衝突しそうになって避けるときは絶対左にハンドルを切る、という事から解ってない人も多い。
一時停止の標識で徐行すらもしてない人が少なくない。
左方優先がわかってない。
これは簡単な試験だけで取れる原付の免許を持ってても同じな人も多い。同理由で原付も結構危険。
2.歩道を走ってる。
本当は軽車両は車道を走らなければ成りません。
今度の法改正で、著しく車道を走る事が危険な場合に於いてのみ歩道の走行が可能になりますが、やはり依然として、法的に事故った場合圧倒的に不利。
大体歩道は混みすぎなんです。
3.強制保険にすら入っていない。
おばあさんはねちゃったらどうする気でしょう。
4.何故か結構イヤホンで音楽を聴いてる。
コレも同じく原付乗りにも多いですし、あとDQNな車も爆音で音楽聞いてますが。
目で見る以外に、意外と耳からの情報で判断する事もしばしば。
なんでワザワザ耳を潰すのかが解らない。
5.ブレーキの効きが甘い。
良いチャリンコなら別ですが、普通のママチャリというのは意外にブレーキが甘い。
ブレーキ自体が効いても、みんなタイヤなんかに気を遣ってないからロックしてそのまま滑る。
長い下り坂の下に、一時停止の標識と横から来る車道があるなんてしばしば。
みんな一時停止守ってないから出てくる出てくる。
さて目の前数メートルで出てこられて、どう対処するんでしょ。
まぁ挙げていくときりがありませんが。
こんな程度でも十分自転車が危険だと思いません?
自転車に乗ってる人にはちょっと早い歩行者の気分で乗ってる人が多いなぁ、と思った次第です。
あと疲れる、アレは。それにスーツの股もよれよれになる。
投稿者 hiroto : 15:58 | コメント (1) | トラックバック
2007年03月09日
深読みと極論と失敗 [ 日記の類 ]
針生です。
何でも深読み針生です。
いや、ね。
よく怒られるんです。もっと素直に考えれんもんか、とか。
機会なんで、それで軋轢が発生したケースをば。
ある日針生はまぁ正直怒られてました。
傍若無人というか人に頼り切った生き方してた時期があった訳ですよ。
いろんなハード要因が重なりまくり、尚かつ簡単な「辞めちゃう」という回避法はあるのだけれどカンタンには選択出来ない、というような複雑な状況。
状況だけ言うとですね、まぁ、バイトの仕事の責任からくるプレッシャーやら飛び級のプレッシャーやらで精神的にキワキワのラインまで来てたわけです。
その後結局一度どん底まで破綻してしまう訳ですが。
ソコを知ってるのは或る一人だけです。
まぁ、そんな、キワキワの時ですね。
友人二人に呼ばれ、説法を受けます。
勿論針生自身もそりゃその通りだと思ってて、真摯に聴いてた訳なんですが。
結局最終的に、だんだん針生の他人に頼りまくった状態が言及されるわけです。
色々と言われ、ちゃんと返すんですが、如何せん自分の中に自信が無い訳だから、「他人から見た自分」という偶像を自分の中で再構築し、その偶像をよく見て、恐らくこう見られてるんだろう、という答えを返していた訳です。
そんな態度に腹が立ってきたんでしょうね。恐らく。
ノラリクラリかわしてるように見えたのかもしれません。
そんな針生に辟易したのか、ある人が言います。
「もう端的に言え、お前は俺を利用していたのか?」
「ふむ……」
ある考えが頭を巡ります。
客観視し、自分を見るところ、ある部分、自分は彼に頼っている。ある部分ではとある人に頼っている。ほかの部分も誰かに頼ってる。
では、頼るのと利用するのはどう違うんだろう。
主観的に見れば、意識の違いであろう。
文字の如く、信頼し、任せてしまっているのと、あわよくば、と悪心を抱き、任せているのとの違いである。
では、客観視すれば?
本人の意識など隠れてしまい見えない。
見えるのは、任せている、という部分だけである。
つまり、客観視した時に「任せている」と見えるのは、信頼しているのと同時に、利用しているのかもしれない。
極論が出てきます。
そして、キワキワで自分を持てず、「他人からみた自分」を見たときに見えるのも、任せてしまっている部分だけ。
=自分は信頼しているのと同時に、利用されていると見られても仕方ない。
針生「頼って居るんだが、利用しているのかと聞かれたらそうなのかもしれない……」
相手「どっちか」
針生「Yes」
そんなこんなで今なら明らかに間違いな答えを返した訳です。
無論その後、最悪の結果に成る訳ですが。
この機会に書けて良かった。
言い訳がましくて今まで書けなかったんだよね。
ま、言い訳でしかないか。
結論。
自分を持てないときは無理に深読みやら色々しない方が良い。素直に、自分がわからない。と言うべきである。
投稿者 hiroto : 00:37 | コメント (3) | トラックバック
2007年03月02日
広告論 [ 日記の類 ]
針生です。眠れません。
バイト辞めました。三年半がんばりました。
広告論。
昔はそんなジャンルの仕事もやってました、針生です。
いや、ね。
最近、「最近TImediaのRSSがウザい(^^;」というセルダンさんのブログのエントリを拝見して思った次第です。
広告というのは、それ自体が在る意味コンテンツで無ければ意味がない。
そして、広告が広告であると、しっかり認識させなくては広告失格である。
コレが持論なんですが。
例えばですね。よくあるアフィリまくりのサイトとか。
一体どれがコンテンツでどれが広告で、どこから先が広告なのか不明。
もっと悪い例を言うと、アダルトサイトでEnterがみっつもよっつも在る奴。
アレは、広告として存在意義を為し得てないと思うのです。
そんな広告、たとえ一瞬クリックしてもらっても、中身を見て貰えなければ結局の所Webのトラフィックの無駄遣いでしか無いわけで。
その本体のコンテンツを為し得るために、仕方なしに、まぁお金儲けかも知れませんが、広告を貼る場合は、その広告をクリックする事が合意の上でなされなければならないと思うのです。
で、向こうさんの収益に繋がって、やっと、広告価値が生まれてくる。
こっちにも、大きなスポンサーがつく、と。
まぁ、針生はスポンサーに迎合するのが苦手なので敢えて張りませんがね。
仕事では、張っても居ましたし、張って貰っても居ました。
広告のコンテンツもそれはそれで、一つの完結したモノに成ってないと面白くない。
例えばアプリなら、体験版が出来る、とか。
PRページだけならいざしらず、いきなり中に入会させられる、とか言語道断です。
TVのCM見て下さい。
あれだけでも面白いですよ。
針生はあまりテレビ見ませんが、ロート製薬のCMやらは昔から覚えてます。
ロート製薬が何作ってるか知らない頃からロート製薬のCMだけは知ってました。
それぐらいのインパクト、知名度の稼ぎ方。
今はTEIJINとかROAMが面白いですね。
あと今さらながらカップヌードルのCMの、FREEDOMとか。
しかしまぁ、世の中広告だらけにもなってきました。
公共放送であるNHKですら、物販のコーナーがある。
コレは、筒井康隆先生の書かれた、「にぎやかな未来」という本が、本当に実現してしまうのかな、と。
そう危惧してしまうのは針生だけでしょうか。
文庫、にぎやかな未来。
針生のも平成二年版の第五四版ですからね。
というか、発刊日が昭和四十七年というのが驚きで。
このころから筒井先生は未来を見ていたんだな、というのが正直、尊敬です。
同書に掲載されている、「踊る星」というのも面白い作品なんで、本当は何とか手に入れて読んで下さい。
針生が毎回主張する、我々はマスコミに踊らされている、という事を本当に巧く書いた短編です。
文庫のタイトルは「にぎやかな未来」、角川です。
どうしても「にぎやかな未来」が手に入らない人も居るでしょうから「にぎやかな未来」を軽く引用。
世の中がこんなに文明化してくると、人間のする事が何もなくなってしまう。全部機械がやってくれるのだ
から始まり、
金が無くても、人並みの生活は出来る(中略)無職独身用という部屋である。政府の作った巨大なビルの一室で、家賃は払わなくていい
中略
壁にはステレオプレイヤーまではめこまれている
中略
FMのステレオ放送にスイッチを入れた。ところが、ゆっくり音楽を楽しむ事は出来なかった。音楽が三十秒ばかり続いたかと思うと、次の三十秒はコマーシャルが入るのである。ブツ切れだ。公共放送にまでコマーシャルが入っていた。
職のない人間が増加して、税金が取れず、政府も金がなくて弱り、ついに公共放送にスポンサーを付ける事にしたのだ。しかし音楽がこんなにとぎれとぎれでは、聞いていてもいらいらするばかりだ
主人公、ステレオを切り、待ちへ繰り出す。
その間、試供品のレコードを貰ったり色々していると、市民の宣伝カーがアナウンスしながらやってくる……
「市民の皆さん、このたびは公共放送のCM料金を値上げすることにいたしました。それに伴い、みなさんのお家のステレオは、一日中つけっぱなしにしておいていただくことになりました。CMがうるさいからといって放送の途中でラジオのスイッチを切ると罰せられます。なお、ステレオでレコードをお聴きになる場合はラジオの方を消されても構いません」
(要約) 主人公、「これはえらいことになってきたぞ」と危惧。
(要約) 今は最早町中はコマーシャルだらけで、静かな場所と言えば自室ぐらい。しかしこれからはもうどうしても、静かに暮らせないではないか。
(要約) そこで主人公ひらめく。「まあいい、レコードを聴く場合にはラジオを消してもいいと言っているのだから、静かな曲ばかり聞いていればいいのだ」
(要約) 試供品で貰ったレコードを聴く。ダメ。はやり歌で頭が痛くなる。レコードに試供品をくれたメーカーのコマーシャルが入ってる。
(要約) こりゃだめだ、と主人公、レコード屋へと出向く。ポケットには五〇〇円札が一枚。
「クラシックの、静かな曲はあるかね? 何でも良いのだが」
「ございます。最近のお客様は、皆様そう仰います。えぇと。これでございますと、一番安くて一〇〇円です」
「一〇〇円か。それは安いな。かけてみてくれ」
「かしこまりました。
なるほど、聴いてみるとたしかにいい曲だが、これにもコマーシャルが入ってるには驚いた。
「どうしてレコード屋で売っているレコードにまでコマーシャルが入っているのだ?」
俺がびっくりして尋ねると、主人は答えた。
「スポンサーがついているからこそ安いのです。二百円のレコードなら三〇秒に一度、三百円のレコードなら一分に一度というふうに、高くなるに連れてコマーシャルの数も減ります」
「予算は五百円しかないのだが……」
「五百円ですと、コマーシャルは五分に一回入ります。でも、ラジオよりは全然マシです」
「そうだな、それを貰おう。ところで、コマーシャルの全然無いレコードはないのか?」
「ございます、十万円です」
そんな大金は払えない。
「で、それにはどんな曲が入ってるんだ」
残り三行はみなさん、是非お読みになって感銘を受けて下さい。
筒井康隆先生がどれだけ未来を見てたのか凄く感動すると思います。